僕は地方や観光地に行くと、思い出す言葉が二つあります。
耳にしたのは7,8年ぐらい前のことですが、今でも心に焼きついて忘れることはありません。
地方や観光地に行った時に思い出す言葉、その1
この前、仕事で北海道に行ってきました。
僕は地方に行くと、必ず思い出す言葉があります。
「ないもの探しをするなら来なければいいいのにと思うんです」
この言葉をいっていた人は誰かは忘れましたが、たまたま見たTVの中で俳優が話していたような気がしました。
その俳優がいいたかったことは、都会から地方に旅行に行くと必ず「コンビニがない」「21時なのにもう全部お店が閉まってる」など、ないもの探しをして不満を言う人がいるということでした。
だったら旅行に行かずに都会で遊んでいればいいのに・・・確かにその通りです。
僕はそれからというもの、地方に行くとその言葉を思い出しては、「無いもの」を見るのではなく、「有るもの」を見るように心がけています。
コンビニやお店がないということは、代わりに何かがあるはず・・・
それは澄んだ空気かもしれませんし、夜の静けさかもしれません。
ないものの代わりに生まれた「あるもの」に視点を向けた時に、そこに来た「意味」が見えてくるのだと思います。
地方や観光地に行った時に思い出す言葉、その2
これは、知り合いの年上の女性の方から、聞いた言葉です。
「咲く前と満開の時と散った後の3回はいくかな」
その方は桜の名所やラベンダー畑のように、自然の景観を見に行くのを趣味としていました。
その趣味の話になった時に、先程の言葉が飛び出したのです。
「咲く前?散った後?」
一瞬自分の耳を疑いました。
例えば桜なら、満開の時期を狙ってカメラ片手に桜の名所に行くのはよくわかります。
でも、咲く前と散った後にわざわざ行く人を聞いたことがありません。
その方いわく、桜の木にも、咲く前には咲く前の魅力的な顔があって、散った後には散った後の風情があるとのこと。
人間の最も華やかな時期は、20代~30代かもしれませんが、60代・70代になればその年にしか出せない深みが出始めるのは確かですし、赤ん坊であれば無垢な可愛さを感じずつにはいられないように、その年ならではの魅力が存在します。
それと同じように、自然にもその時々の「美しさ」があって、6分咲きの時でも、または枯れていたとしても、満開の時にはない見所があるのだと力説していました。
この話を聞いてから、例え花が咲いていなかったとしても、「損した」「悔しい」と思うことが少なくなり、その時々の顔を楽しめばいいんだと、そう思えるようになりました。